以前、このようなブログを書きました。
あれから私はまだ、自分自身での実験が出来ていませんでした😓
出来ていないというか、本音を言うと心の底から取り組みたくなかったんです。
本当に嫌すぎて、嫌いすぎて。やりたくなかったんですよね。
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でもその本音というのは、私の心の闇の声なんです。
こんなに頑固なのは、決まって闇の部分。
心の底からやりたくないのは、光ではない。私の闇の思い。
だから「うんうん、嫌いなんだからやらなくていいよね〜」というのは、闇に甘んじ、屈していることになる。
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実は先日、そのことで旦那と少し真剣な話し合いになりました。
私が洗い物を2日に一回くらいしかやらないせいで、どんどん溜まっていく洗い物。
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こころちゃんはなんで洗い物と排水口掃除だけこんな頑なにやらないんだ、と。
洗い物が日々溜まっていく一方だからなんとかしたい、と。
「それって要は、私にやれって言いたいってことやんね?😟」
「他の家事はちゃんとやってるのに、なんで出来てない部分に焦点を当てて責められなあかんのか?」
と食い気味に突っかかる私。(被害者意識爆発ww)
いやそうじゃない、責めてるわけじゃないし他の家事をきっちりしてくれてるのは伝わってる、自分はただ溜まっていく洗い物をどうにかしたくて話し合いたいだけだと。
ていうか、そんなに頑固にやりたくないっていうのは、もうそれ闇なんちゃうかと。
旦那に言われてしまいました。w
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私も「わかっとる、闇やと思う。」とw
「でも嫌なもんは嫌やねん😒」と、まじで😒←こんな顔をして、ふてぶてしく開き直ってしまいました。
根が優しい旦那は、んー…じゃあ自分が洗うから、こころちゃんは乾いた洗い物を片付けてよ😥(しゃあなし)と言ってくれました。
よっしゃわかったじゃあそれで!!!☺️と私はホッとした反面、
自分がただ嫌い・イヤだからというわがままで旦那に洗い物を押しつけてしまったことに、ほんの少しモヤモヤを拭い去れずにいました。
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今日、トライアンジュメンバーと話をしていて
それって困難を思いっきり困難として捉えてしまっていた自分の心の問題だったな、ということを心から認めました。
楽しむルートを全く選べていなかった。修行の感覚になっていた。
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私の場合、何かしらの困難がやってきた時は
「おーーーし!!キターーーーーp(°▽°)q!!!✨さ、これをどうやって乗り越えて行こうか?!✨」
と、こんなテンションで毎回乗り越えてるのですが
これって強引にこのように考えているとか、無理に演じているとか、我慢しているというわけでは全くなく
私の中から純粋に湧き上がってくるワクワクとした好奇心なんです。
本当、サーフィンのような感覚。🏄♀️
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今回洗い物や排水口掃除に至っては、楽しむ感覚をすっかり忘れ去っていて。
嫌な部分に目を向けるのではなく、嫌いの裏側にある別のものに目を向ける…ただそれだけでいいのだ、と思い出しました。
そうすると不思議と、嫌々やってるとか、修行のような感覚にはならないんですよね💡
その感覚を思い出したら、ちょっと本当に心から、自分に実験してみたくなってきまして。
おっ、好奇心、湧いてきたきた♨️☺️*
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というわけで、洗い物と排水口掃除は明日から私が担当することに決めました。🙋♀️
嫌いな人で付き合う必要がないのなら付き合わなくて良いと思うけど、
例えばママ友や会社の同僚、家族関係など、好き嫌いに関わらずどうしても付き合いを強いられる人だっているわけで。
家事だって、嫌いでもなんでもやらなきゃいけないこと。
仕事だってそう。
好き嫌いがどうであれ、必ずやらなきゃいけない時というのはあるのです。
そういった時に「嫌い」というネガティブな感情に支配されるのではなく、その支配を軽やかにかわして楽しいルートを選ぶ。
その感覚を身につけ、常に軽やかな心でいれる時間を増やしていきたいなと思います^^
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