ただの人間だということを思い出す/秋冬の良さを少し見つけた日

こころのブログ

昨日は陶芸の素焼きをしに行ってきました!

結論から言いますと、無事素焼き出来ました❣️👏✨

(こちらもYouTubeに公開予定です★)

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淀川の河川敷へ行ってきたのですが、

焼き上がるまで1人でぼーっとする時間が結構、思った以上に良くて。

頭からっぽになって、秋から冬へ移ろおうとしている空気の匂いを嗅いだり

ゆらめく炎の暖かさを感じたり。

広い土地の中にポツンと1人いると、自分はちっぽけなただの人間だったんだよなということを思い出します。

形容詞なんて何一つつかない、ただの人間。

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最近アウトドアに傾倒している私ですが、今の私しか知らない方は付け焼き刃のように見えるかもしれませんが、実はもともと幼い頃は超アウトドア派の野生児だったんです。

野山を駆け回って遊んでいましたし、小学校の校舎の2〜3階ほどの高さの木にもてっぺんまで登っていましたし、山でなら1人でも十分暮らせると思っていました。

どちらかというと、今、その当時の感覚が戻ってきただけのような気がします。

その頃は劣等感も競争心もなく、ただ目の前の大自然を五感で感じ取り、生き生きしていたような覚えがあります。

久々にこの感覚が戻ってきて、とても心地よさを感じているんですよね。

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現代人はいろんなものを持ちすぎていて、自分を作りすぎている人も多いと思います。

かつての私がそうだったように。

いらないものは手放して、心軽く生きていく。

そういう生き方が出来てきた時に、本当の自分というものが見えてくるのではないかと思います*

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そういえばですね、今秋で、少しずつ冬の足音が近づいてきていると思うのですが

私、秋はあんまり、冬に関しては大嫌いな季節だったんです。

秋はなんか、もの寂しさのような雰囲気が漂っているのがソワソワして嫌で。

冬は寒すぎるし、もう意味わからん!冬なんかいらん!と本気で思ってました。

でも、昨日1人で河川敷でボーッとしていて、秋や冬も案外良いんじゃないかと思えてきました。

夕暮れの優しい柔らかな日差し。寒いからこそ暖める幸せを実感する。

そして自分を鍛えるには、実はとても良い環境なのではないかと。

秋のもの寂しさは、そういえば今年は全く感じていません。

もしかすると、かつての私の心の弱さが

秋に漂う人の寂しさのエネルギーに反応していただけなのかもしれません。

寒いことにも良さがあるのではないかなと、それはどんなかな〜と

見つけるのが今から楽しみです^^

学生時代、清少納言の枕草子「冬はつとめて…」の一文に全く共感できなかった私ですが、今は少し分かるような気がします。

昔の人の方が心で感じることができていたからこそ、こういう素敵な感性の文章が書けるんだろうなぁ。

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少しずつ、一歩ずつですが、自分の感性が変わってきていることを感じます*

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