インスタの方ではストーリーにチラッと上げていたのですが、昨日は夕方からウォーキングに行ってきました。
もともとお散歩は好きなのですが、用事を済ませて帰宅して空をふと見上げると、清々しく高い秋の空が広がっていて。
「この空をもっと見たい!」と思い、歩くことにしました。
特にルートも決めず何も考えずに歩きだしたのですが、私の足は自然と川沿いの道を歩いていました。
あまり通ったことのない道だったのですが、心が「こっち!」と言うのでそれに従うことに。
その道はまさに、空がとても見やすい道でした。
水色〜青の爽やかな空に、絵具を1滴ずつ足すかのように黄色やオレンジがほんの少しずつ入り混じってくる秋の夕暮れ。
雲もずっと同じ形ではなく、気がつけば薄くなっていたり、伸びていたり。
そんな空模様を眺めながら歩きました。
その移ろいゆく様には、ただただ「美しい…」という言葉以外に見つかりません。
ふと、変化には美しさがあるのではないかと思いました。
空は常に変わり続けていて、同じ顔はひとつもないからこそ、見ていたくなってしまう。
植物なんかもそうで、新緑が生い茂り、蕾がついて花が咲き、花がしぼんだら実がなり、やがて枯れていき種を落とす。
そして、その種から新しい命が芽生える。
例えば、空模様が1年中常に同じものだったり、植物が1年中ずっと花が咲いている状態で変わることがないとすれば、人はそこまで惹きつけれらないのかもな、、、と思ったんです。
これは人間も同じなのかもしれない。
良い方へ常に変化し続けている人は、その人自身の魅力がどんどん磨き上げられていく。
それは“美しさ”と言えるのかもしれないなと。
「周りの人に見てほしいから自分磨きします!」を狙ってやる(=メリットのためにやる)のでは決してなく、ただただ良い方向へ変化し続けていたら、結果自分が磨かれていた。という感じなんですよね。
そういう意味では、世の中に溢れる「自分磨き」というのは、本当の意味での自分磨きなんだろうか…?とも思います。
別に、空や植物は「良い方向へ変化したい!」と思って生きているわけではありません。
しかし人間にとっての【変化の美しさ】というのは、そういった部分なのかなと感じます。
外見的な美しさ・とってつけた美しさではなく、自分の内側から湧き出る本来の美しさ。
それは、自分の内面が良くなるにつれ、増していきそうな気がします。
そういう意味で言うと、破壊にもある種の美しさがあるのではないかと思いました。
ただの暴力的な破壊を美しいと言っているのではありません。
良くなるための破壊。
何を破壊するのかというと、自分が思い込んでいる限界点、出来ないという思い込み、心の弱さから作り上げてしまった固定観念や概念です。
これらを破壊したいと思った時に、
- ろくに解決しようともせず力づくで壊そうとする
- 思い込みだけで蓋をしようとする
- 忘れようとする
などの方法で取り組んでも、決して壊れることはありません。
これらを壊すには、まず自分が心からそれらを破壊することに納得していることが大前提なのですが
確固たる「変わる!」という決意、他人からの助言を受け入れられる素直さ、希望を見据えること、一歩を踏み出す勇気などが必要で。
それらがピークになった状態で、良い方向へ変化する時の破壊のパワーというのは
とても強くて清々しくて、美しいな…ということを思いました。
そんなことを思いながら歩いているうちに、空はオレンジ色が濃くなってきて、夕陽の反対側の空には薄いピンクや紫色がかかってきました。
もうすぐ日没です。
川沿いには女子校があり、そこの弓道部の練習風景が道路沿いから見えました。
弓道場に張り詰めるピリッとした空気が、少し離れたこちら側にまで伝わってきます。
生徒の手を離れた瞬間、的に向かってまっすぐ飛んでいく一本の矢。
的を射ると、「よーし!!」と一斉に聞こえる清い声。
夢中になっている時って、あの矢のようにまっすぐ突き進んで行けるんだろうな。
私自身もっともっと、夢中になれる、楽しめる、前に進んで変化していける。
そんなことを思えたウォーキングでした*
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