皆さんは、褒められることは好きですか?
(嫌いな人はほぼいないのではないかと思います(笑))
接客の仕事に就いていたり、立場が上司や親になれば、他人を褒める機会も増えてくるのではないかと思います。
また、アファメーションと称して、自分のことを褒めている方も
中にはおられるかもしれませんね。
褒め方次第で人の心は変わる
先日、「褒める」ということについて考えていました。
ちなみに…
辞書ではこういう意味だそうです。
あまり良くない褒め方の一例
すごいね!偉いね!
- 自分はすごいんだ!と受け止めることにより調子に乗る
- 自分はすごいから、他人を見下しがち
- すごいと言われたいがために行動するようになってしまう
- すごくない自分だと不安になってしまう
このように、「褒められたい」という気持ちは、全て心の弱さ(闇)から来ています。
実際に私が他人からこの褒められ方をしていた時、しばらく褒められない時があると
「褒められないということは、今の自分はダメなんだ…」と自己否定思考に陥っていました。
「すごい」「偉い」って、単語も短くて使い勝手が良く、相手もその時は喜んでくれることが多いから
多用している人が多いような気がしています。
しかし、極端な気持ちのアップのあとは、必ずダウンします。
気持ちのアップダウンは、心の弱さに繋がってしまいます。
私は嬉しい!
「自分はどう思った」という表現の仕方は、一般的に〈 アイメッセージ 〉と言われています。
例えば、相手の一言で傷ついた時。
「(あなたは)なんでそんなこと言うの?!」←主語が「あなた」なのでユーメッセージ
「あなたの一言で(私は)傷つきました。」←主語が「私」なのでアイメッセージ
このような違いですね。
アイメッセージは相手を攻撃しない言葉なので、自分が傷ついた時、怒った時、悲しい時などには有効です。
しかし、褒める時にアイメッセージを使うのは、あまり良くないかと思います。
なぜなら、
褒めてくれた人が喜んでくれている=またこの人を喜ばせたい(目的)から頑張ろう!
と、褒められる側の目的がすり変わってしまう可能性があるからです。
特に子供は、その傾向が強いかもしれません。
例えば、バレエの大会で優勝することが目的の生徒が
「あなたは優秀で先生は嬉しいわ!」と言われ続けていると、
「また先生に喜んで欲しい」が目的に入り込んでしまうことがあります。
なので、純粋にその人の目的・使命の達成を応援したいと思うなら
褒める時にアイメッセージを入れない方が健全かと思います。
健全な褒め方とは?
では、逆に心の強い部分(光)を広げる褒め方とは、どういったものなのでしょうか?
実は、心が強いと「褒められたい」という欲求はありません。
なぜなら、現実が良くなることが一番の良いことだからです。
心が強い人(または強くなりたいと頑張っている人)は、現実を良くするために
とにかく自分が手足を動かし、行動します。
そういう人には、褒めも批判も、全て物事を良くするための材料となります。
なので、批判などがあったとしても落ち込みを選択しません。
と、いうことは……
褒める側は、「現実が良い方向に変化したね!」ということを言ってあげるだけで良いのではないかな?と。
そこに、「すごい」「偉い」などの言葉は、もしかすると一切必要がないのかもしれません。
例えば、テストで100点を取った子供に対して親が褒める場合。

ま〜!!すごいじゃない、○○くん!
偉いわね〜〜!!!✨
お母さん嬉しいわ!
ではなく、

○○くん、家でも宿題頑張って、塾でも先生に分からないところはしっかり質問してたもんね。
分からない問題を分かるまで聞いて、繰り返し練習したから100点に繋がったんだね!
と言ってあげた方が、子供の心は強くなっていくのではないかと思います。
また、上の例の場合、100点を取るための目的を親子で共有できているかどうか。
そこはとても大切かと思います。
「(目的)に一歩近づいたね!」
と、現実が上手く進んでいることを認めてあげるのはとても良いのではないかと思います。
例えば、お医者さんになりたいという夢がある子供なら
勉強を頑張ること=お医者さんの夢に近づくことです。
その一歩進んだところを認めて言葉を掛けてあげる、という感じですかね。
そうやって育った人は、
「自分の健全な目的を達成するために現実と向き合い、行動していく」ということが普通になってきます。
そこに自分の人格の否定や、他人の顔色伺いなどはありません。
フラットな気持ちを保てる人が増えると、この現実世界も生きやすい!という方が増えるのかな、と思いました^^
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