無意識レベルに染み付いた恐怖感は塗り替えられるのか?

こころのブログ

どうも、今月頭から自分のトラウマであるスイミングにチャレンジしてます、こころです。

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ずっと泳げない体験を積み重ねてきた&23歳の頃川に流されて溺れガチで死にかけた経験あり、という私なのですが

スイミングスクールに通い始めてから「水が嫌いなわけではなかったし、泳ぐことはむしろ好きなんだ…!😳✨」と自覚することができました。

これに気がつけたことは、自分の中ではとても大きかったです。

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しかし、そこに気がつけたからといって、泳げるようになったのかというとそうではなく…😹

やはりクロールの息継ぎだけがうまく出来ず、ずっとそこで止まってしまっています。

頭では「先生もついてくれているし、絶対に溺れないし死なないから大丈夫。たくさん水を飲んだ方が泳ぐのも上手くなれる。」と思っているのですが…

いざ息継ぎをしようとすると、体が勝手にこわばっていくのがわかるんです。。。

先生曰く、ちゃんとした息継ぎってこんな感じ。↓

口を大きく開けて息を吸い、頭の横半分がしっかり水に浸かっている状態。

体全体はリラックスしていて、しっかり浮けている状態だそうです。
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私は息継ぎさえなければ、リラックスしてプカプカ浮いていることは出来ます。

しかし息継ぎが始まると…

こうなっているようです(先生談)。笑

頭の鼻から上がどうしても出てきてしまい、そのせいで水面に口があまり出せなくなる。

そうすると大きく息が吸えなくて、だんだんしんどくなってくる。

力みすぎて、ゴーグルしているのにギュッと目をつぶってしまう。。。

これは先生に言われるまで自分でも全く気がついていなかったのですが、意図して目を開けてみたら息継ぎの最中でも世界が見えました(笑)

でも、それも意識が薄れるとだんだん忘れていってしまい、また目をつぶってしまう。

力むと体が沈んでいくので、だんだん口から息も吸えなくなり、しまいには水を飲んで溺れそうになってプールに立ち上がってしまう…ということを繰り返してしまっています。

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厄介なのが、これ、頭では全部分かってることなんですよね。。。

ただ、いざ泳ぐとなると、クロールってスピードも出るので息継ぎのタイミングも一瞬すぎて頭で考える暇がないので、心(無意識レベル)の思ってること(恐怖感)の方が勝ってしまうという。。。

ビート板があっても息継ぎとなると体が固まって思うようにできないって、相当ですよね^^;

うーん、やっぱり息継ぎをスムーズにするためには、心から恐怖感が取れないと難しそうだということがわかりました。

と、いうか、私の課題が心で感じることなので、頭で「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫」といくら考えても無駄なことであって

心から「息継ぎ楽しい!怖くないぞ…!✨」って思えないといけないわけです。
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しかし、そんなのどうやりゃいいんだ…??😥

とにかく泳いで泳いで泳ぎまくるしかないのかな?

でも、それで心からの恐怖心、体や細胞に染み付いた恐怖心って取れるものなのかな?

やってみないと分からないけど…

本当に、頭では怖さというものは一切思ってないんですけどね〜😹😹

無意識レベルの恐怖心を取るの、難し!!!!汗

いや、実は客観的に見れば難しいことではないのかもしれない。(急にどうしたw)

うまく泳げた体験があれば塗り替えられるのかなとは思うんですが、自分にそこまで辿り着けるのか…?という疑念も。

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うーん、本当に難しいと感じてはいるのですが、これを乗り越えたらすごく自分にとって得られるものがあるのではないかという気がしています。

それを得たいから頑張るというよりか、その得られるものがどういったものなのか?そこにとても興味があります。

それは、「32年間生きてきて一度もうまくできなかった息継ぎが出来るようになった!!」という体験を積まないと

得られないし感じられないものだと思うので、そこも含めて実験ですね😂✨

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よし。ごちゃごちゃ考えずに、今日も楽しく泳いでくるとします☺️*

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