結婚したい、子供が欲しい、という女性は多くいるのではないかと思います。
なぜその方々がそう思うに至るのかというと、自分の中で思い描いた人生の理想像があるからです。

25歳までに結婚して、27歳までに子供が欲しい。

3人子供が欲しいから、第一子はせめて30歳までに産んでおきたい。
しかし、この幸せを描いたはずの理想像が、妊活に取り組む女性自身を苦しめることになるのです。
この記事は妊活を否定するものではありませんし、私の意見を押し付けるつもりで書いたものでもありません。
あくまでも、1人の女が体験したこと・感じたこととして、読んでみて頂ければと思います。
妊活でしんどさを感じるのはなぜ?
しんどくなるのは理想があるから
実は私も、妊活をしていた時がありました。
一応夫婦で、もう新婚旅行も終わったし、いつ子供が出来ても良いしねってことで話し合ってはいました。
実はその時旦那さん側に、もう少し2人の時間を楽しみたいという気持ちがあった(しかも私もそれに薄々気づいていました)にも関わらず
私は「子供が欲しいから」という自分の意見を押し通すために年齢をチラつかせ
出産が遅まるほど身体障がいを持って生まれてきやすくなることのリスクなどを挙げ、旦那さんを論破してしまいました。(←最低)
なぜ、当時の私に「子供が欲しい」という理想があったのかというと、「世間から見た幸せ」を叶えようとしていたからです。
- 結婚することは親孝行にもなる。
- 子供を産むことで女として認めれらる。
- マイホームを持ったらいっぱしの大人。
そんな感覚でした。
自分の中から湧き出てきた純粋な「子供を産みたい」ではなくて
ただただ自分の外ヅラを良くするための手段としてでしかなかったんですよね。
今ある環境がいかに満たされているかを心から感じられているか?
この時の私には、根本的な「今のこの生活は十分満たされている」というところがすっかり抜け落ちていました。
理想を掲げるということは、「今よりもっとこうなりたい」という欲があるということ。
理想にばかり目を向けすぎると、既に手にしている大事なことを見落としがちになります。
で、見事にそれらを見落としていた当時の私は
排卵日付近なのに「今日は疲れてるから寝るね」と言う旦那さんへの不平不満が出てきたり
「妊活に協力的でない旦那さんはひどい!自分はこんなにも子供が欲しいのに!」というような被害者意識になってしまっていました。
私の知人には、生理が来るたびに身篭れない自分を責めてしまう、気持ちの落ち込みが激しい、という人もありました。
こういう状況だと、妊活に協力してもらえない女性側が被害者だ、というふうに見る人が多いかもしれません。
しかし、被害者意識=心の弱さ=心の闇 という方程式を忘れてはいけません。
心の弱さ(今ある満たされていることに目を向けられない、だから今に不足感を感じて「あれが欲しいこれが欲しい」になる)
から作り上げた理想を叶えてくれないと、「叶えてくれないの?協力してくれないの?!ひどい!!」になるのです。
むしろ、心の弱さから出てきた一方的な「ひどい!」をぶつけられる男性側の方が、本当の被害者だと言えるのかなと思います。
今となっては、旦那さんには本当に申し訳なかったな、と心底思っています。。
実際に妊活をやめてみた
自分の理想像が欲で作り上げてしまったものだと気づいてから、妊活をやめることにしました。
子供側も、ドロドロの不足感や欲から作り上げられた理想を叶えるためだけに作られたとしたら
たまったもんじゃありませんしね。
私にとって、妊活をやめる=一生子供を作らない!ではなく、
- 子供はいてもいなくてもいい。
- 出来たらその時はその時。
そんな感じです。
「子供いなきゃダメ絶対!」という気持ちは、子供に対する執着であり、執着は自分の心を余計にしんどくさせます。
自分の心に不足感があるんだということを認識し、欲をなくしていけば
執着が取れ、結果的に心がとても軽くなります。
実際に妊活をぱったりとやめるというのは、結構勇気のいることでした。
それはすなわち、作り上げた自分の理想を自分の手で崩し、無に帰すことだからです。
「妊活やめたら、もしかしたら子供を産まず一生を終えるかもしれないな」
「親にも孫の顔を見せてあげられないかも…」
など、いろいろなマイナス面やリスクを考えたりもしてしまいましたが
とにかく欲を捨てる!不足感のある自分とは決別したい!という一心で、えいやっ!!とやめました。
結果、めちゃくちゃ心が楽になりました。
旦那さんのことも一切責めなくなりましたし、しんどい、辛いなんて気持ちは抱くことすらなくなりました。
「子供はいてもいなくてもいい」なので、子供がいない今の状況でもいいんだ、と思えるようになったのが一番大きいですかね。
そして何より、今ある生活がいかに満たされているのか、どれだけ有難いことだというのが身にしみてわかるようになりました。
理想を描いたのはなぜなのか?向き合ってみてもいいのかも
現代社会では、理想を描くということは当たり前のように行われています。
しかし、理想を描くのは何らかの欲があるからで、欲が湧くのは不足感を埋めるため。
なぜ、家庭や人生の理想像を描いたのか?
その気持ちの根本にしっかり向き合ってみるのは、良いんじゃないかなと思います。
「自分にそんなドロドロした感情なんてない」という人ほど、心の闇が深かったりします。
どんな人間にも、汚い感情や不足感、欲だってあります。
「そういうのが自分の中にもあるんだな」というところをまず把握しなければ、良い状態へと向かうことはできません。
自分が既に満たされているんだということを心から知った時の感覚は、言葉では言い表せません。
1人でも多く、その感覚を感じることが出来たらなと思います。
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