いきなりですが、私、泳ぎにチャレンジしてみようかなと思ってます。
なんだ、たかが泳ぎかと思われる方もおられるかもしれませんが、私にとって泳ぎにチャレンジするということはかなりの意味があります。
そもそも現段階で、私は自分の力だけで泳ぐことができません。
できることは
- ダルマ浮き(息できない)
- 犬かき(5mほど泳いだら徐々に沈んでいく)
- クロール(5mほど泳いだら徐々に沈んでいく)
- ビート板につかまって顔を上げた状態で泳ぐ
です。(我ながらひどいな…)
幼い頃から顔を水につけるのが嫌で、そんな中 小学校に上がり、義務教育のため無理やりプールで泳がされるという苦痛の時間が始まりました。
ビート板を使ってバタ足するところまでは良かったんですよね(顔をつけないので息ができるから)。
そこからがもう……ね(´`)
全然泳げないのに25m泳がされ、でも泳いで行くとだんだん体が沈むんですよね。
息継ぎのたびに水を飲んでしまう恐怖心を感じ、鼻や耳にも水が入ってすごく嫌な気分になる。
それが嫌で、最終的にはなるべく息をつがずに25m無理くそ泳ぎ切る、という強硬手段に出ていました。😂
しかしきちんと泳げていないことは事実なので、夏休みの間も強制的に小学校のプールに通わされ、さらに苦痛の日々。。。
ただでさえそんななので、足がつかない水深のところではもはや恐怖心しか湧いてきません。
23歳の頃川に流され、溺れてリアルに死にかけたこともあり、それ以来「泳ぎたい」なんて感情は一切湧かない、水辺にすら近づかないという人生を送ってきました。
しかし、隠岐島で海への恐怖を克服し、その後も釣りで海辺へ何度か行くうちに
「水辺って案外いいかも」という気持ちが湧き上がるようになりました。
そんなある日、ふと小学生の頃に見ていた海外ドラマの存在を思い出しました。
その海外ドラマでは、無人島?みたいなところで暮らす1人の少女がいて、その少女が海中を泳ぐシーンが何度もあったんですよね。
それはもう美しくて、こんな風に泳いでみたい!と思っていましたが
実際水を目の前にすると恐怖心や嫌だという気持ちが圧倒的に勝ってしまい…
いつしかその海外ドラマの存在もすっかり忘れ、今日まで生きてきました。
でも、そのドラマを思い出して久々に動画を見てみると、やっぱりいいな〜!って思うんですよね。
そして……ここ最近の冒険の感覚を生かして、泳ぐということが何とか出来るようにならないものかな?と考えるようになりました。
泳ぎに関しての記事を何度か目にして思ったのは、泳いでいて沈むというのは恐怖心から体が強張っているからだということ。
それは本当にそうだなと思います。
現に私は、人間であるからには浮ける・泳げる体だということを一切信用していませんし
水の中で足がつかない→泳げない→溺れる→死ぬ、という方程式が出来上がっていて、それがダイレクトに恐怖心に繋がっています。
でも、恐怖心が克服できるんじゃないかという部分に関しては、信用できる。
なぜなら、ゴキブリや雷や海など、他にもたくさんあった恐怖心が消えてなくなるという体験をしたからです。
これらの体験から、恐怖心はなくすことができるんだということ、恐怖心が消えるとこんなに心が楽なんだということを身をもって知り
最近立て続けにチャレンジしている冒険から、自分にとって困難なこと・未知なことでも楽しんで乗り越えていけるんだということを学びました。
そう思えている今なら、もしかしたら人生32年間の間に作り上げてしまった大きなトラウマである「泳ぐ」ということにも、チャレンジできるんじゃないかな?と思えてきたんです。
近辺のスイミングスクールを探してみると、夏が終わりで閑散期に入るからなのか、様々なキャンペーンをやっていることが判明。
泳ぐことにはコツがいるとは思うので、そこはプロの先生に教えてもらいながら、私自身は自分の心でいろいろ感じ取ることをしっかりやりたいなと思います✨
これは冒険になるのかな?どうなんだろ?
でも、心のことを自分自身で実験していくという意味では、かなりいろいろ感じることが出来るのではないかなと思っています^^
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