サプライズ好きに潜む心理/プレゼントもお祝いも、あってもなくてもいい😃

こころのブログ

以前、プレゼントに関する記事を書きました。

今日ふと、それ関連で思い出したことがあります。

昔の私は、サプライズが好きでした。

仕掛けるのも好きでしたし、仕掛けられるのも好きでした。

どういう部分が好きだったのかというと、

「え?!なんでこれが欲しいってわかったの?!🥺✨」という相手の顔を見るのが好きだったからです。

自分が仕掛けられる側になったら、相手はどんなプレゼントをしてくれるんだろうってワクワクしていました。

そして、自分のためにあれこれと準備してくれているというその事実が、とても嬉しかったことを覚えています。

でも今思うと、それってちょっと闇っぽかったなって。

サプライズ好きが行きすぎて、相手にもサプライズを強要したこともありましたし(その時点でサプライズじゃない)。

自分が大切に思われている・愛されているということを目で確かめたい、そういう「自分を満たしたい」という感情ばかりが大きかったように思います。

自分が相手にサプライズを仕掛けるのも、次は相手が自分に対して仕掛けてほしいからやってる、みたいな、見返りを求めている部分もありました。

んで、そのサプライズされたところをSNSにアップして、フォロワーさんに羨ましがられたいという欲求もありましたね^^;

…闇っぽいんじゃなくて、思いっきり闇の塊ですねw

ちなみに元職場では、サプライズプレゼントし合いっこするというのが恒例行事でした。

みんな自分の誕生日の時期が近づいてくると、サプライズされるってもう分かってるんですよね(笑)

分かっているのに、毎回サプライズを画策して、実行する。今思えばちょっと滑稽でもありました。

それでも頑なにサプライズの慣習が途切れなかったのは、絆があるんだよということをアピールするには視覚で訴えるのが一番。みたいなところもあったのかもしれません。

今の私は、サプライズはどっちでもいいやって思ってます。

プレゼントもどっちでもいいや、です。

極端な話、私の誕生日を忘れられていても全く何も思わないし、おめでとうの言葉がなくたって、悲しさやつらさ、寂しさなどが押し寄せることはありません。

盛大なお祝いやプレゼントの渡し合いっこなんてしなくたって、絆は確かにそこにあると分かっているし

愛されたいとか、大切に思われたいとか

「満たされたい」と思うことも、もうなくなりました。

必要なものはもう、既に全部持っているんですよね。

それに気が付けたことは、私の人生においてとても大きなことだったなと思います。

ちなみに10年前の私は、誕生日を忘れられると

ひっそりと涙でぐしゃぐしゃになるくらい泣く子でした。笑

そんな人間でも、これだけ感じ方って変わるものなんだなぁとしみじみします☺️

心が変わるって、本当にすごいことだなって思います。

そして、心を変えるのは特別な人間じゃなくても、誰でも出来るんだということ。

どんな人にも、可能性があるな、希望があるなと思います✨

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